どんなに明るい人でも、悩みがないという人はいません。
日常の些細なことから、人には話せない深い悩みまで、誰しもが多かれ少なかれ抱えています。
でも、その悩みに囚われることなく、前向きに過ごせたら良いとは思いませんか?
目次
悩みとは
一言で云うなら、自分の心が作り出したものです。
同じ環境であったとしても、悩む人と悩まない人がいますね。
その違いは、受け取り方の違いです。
例えば上司から注意をされて
- 「なんて自分は出来ないんだ」と凹む人
- 「自分は期待されているから注意をされた」とやる気が出る人
解釈1つで、そこに留まる人・前進する人に分かれます。
同じ仕事をするなら、後者が良いと思いませんか。
でも、自分の意思に反したポジティブな考え方は、臭いものに蓋をするような状況「我慢」に繋がります。
そして、その我慢は、自分を押し殺すことですから、いずれ爆発します。
自分を攻撃するか、他人を攻撃するか2つに1つです。
自分を守れるのは自分だけ
相手が、あなたに文句をいうのは
相手の思う通りに、あなたが動かないから、それに対して不満が湧き文句を云うのです。
でも、感受性が豊かな人は、自分が至らないからだと自分で自分を責めてしまいます。
だから落ち込む。
ここで、大切なのは相手の意向に沿うことではなく
自分が見えなかった部分を、気付かせてくれた。
または
そう考える人もいるのね~と思うくらいにして、終わることです。
自分を守れるのは、自分しかいません。
自分を、必要以上責めないでください。
我慢は美徳ではない
我慢をするということは
- 辛くても弱音を吐かず耐える。
- 意に反することでも従う。
一見、美徳に思えますが、そもそも物事は、全て自分が間違っているわけでも
相手が全て正しい訳でもありません。
自分の考え方や思いを伝えて、相手の意見も聞き、その時にあったやり方を見出していくのが最善策です。
その対話が出来ない場合は、相手が自分の意見の押し付けをしているに過ぎませんから
我慢しようと考えなくて良いのです。
長いものには巻かれろ?
そうは言っても、自分1人では不安だし、皆の云う通り渋々やるしかない。
そう思っていませんか?
諺(ことわざ)にもありますが
長いものには巻かれろ。
長いもの(権力がある)に、対抗出来る力や手段がない時は、非力な状態で挑まず
今は、大人しく従う方が得策であるという意味です。
でも、我慢しなければならないという意味ではありません。
今、非力な状態で挑むことは足をすくわれることに繋がります。
地を固め、味方をつけるまで辛抱をして、力をつけたら挑む。
渋々従うのではなく、今は見返すための辛抱する時期と、考えたら気が楽になるのではないでしょうか。
悩みを手放すために
男性は解決策を求めて、女性は共感を求めると聞いたことがあるでしょうか?
私は、女性ですので共感の心地よさや、共感されたことでの安心感は分かります。
特に、肯定より否定されることが多ければ、自分の意見に共感してくれる人がいたら、嬉しいですものね。
しかし、他者からの共感を得て、言葉は悪いですが悲劇のヒロインになれたとしても、悩みは解決できません。
また、悲劇のヒロインになることは、被害者意識を持つことになり、あなたが望むべきものから遠退くばかりです。
共感は、一時の満足感や安心感があるのみです。
今のままでOK、悪いのは自分ではなく相手が悪い。
これでは、何の解決にもなりません。
悩みを手放すためには
- 自分が幸せだと思う環境は、どういう環境か?
- その環境にするには、何をどうすれば良いのか?
その2つに目を向けて、被害者意識からの脱却が出来れば、きっと笑える日が来ます。
勿論、共感こそ全てと考えている場合は、今は動く時ではないので心地良く感じる場所を、探すのが先決です。
そして前に進みたくなった時は、声をかけてくださいね。
お手伝いいたします。